川越スピリチュアルカフェ「たまのを」

川越スピリチュアルカフェ「たまのを」 魂のリーディングと、「いのち」の講座をおこなっています。 魂のリーディングとは
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「いのち」の講座とは
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05/08/2026

昔、河鍋暁斎記念美術館に勤めていた事がありますが、その折に見せてもらった、巻紙の書状というか、お手紙がありました。

記念館の作品とは関係がありませんが、
その手紙が忘れられません。

広げたら、1メートル以上あり、達筆な筆文字で書かれていました。

その当時は、板橋区?か何処かの学芸員をされていたようです。

その人の経歴を聞いて、その人に会ってみたいと思いました。

おそらく、学芸員の資格はあっても、学芸員として美術館などに入るのは、物凄く狭き門、多分、普通の経歴なら不可能に近いはずです。

その彼が、大学を出てから、夜の工事現場で長いこと働いていたと聞きました。

多分、昼間は、美術品を見るために美術館に行ったり、骨董屋を覗いたり、勉強していたのだろうと思います。
美術品も手に入れたかったのかもしれません。

羨ましいし、何て素敵なんだろと思いました。

自分のしたいことがハッキリ分かっている人は、幸せな生き方が出来るのだと思います。

自分の目標のために、自分を捧げて生きる大変さもありますが、

ブレない自分を捕まえて、離すことなく、自分の歩みを続けていける人は、本当に素敵で、カッコ良いのだと、

外側に囚われず、自分の好きを追求出来る人は幸せです。

頭ではなく、

身体、
いのちの奥にある、自分という世界を捕まえ始めると、

あとは、世界が自分を導いてくれる事を知っている人は、幸運です。

今どき、ニートとか、引きこもりとか、そんな言葉を聞く度に、

豊かさが、決して生きることの豊かさに繋がってないどころか、

人間として、人として生きる丁寧さや、人しての本来の優しさが何かが分からなくなっているのではないのかと、ふと考えてしまいます。

社会の価値感の中に閉じ込められたまま、人生を終えるのは、勿体なさ過ぎるのではないのかとふと思います。

人の世の価値感に自分を縛ることなく、

自分を掴んで離さずに、

着実に、自分の望む方向に向かって歩を進めて行けるような生き方をしている人が、

どんなに幸せだろうかと。

多分、成し遂げる人は、それが、成し遂げられるかどうか?を気にしていない。

人の為にやっているのでは無い。

人の世の価値がどうか?とか、人にどう見られるのか?では無い、

自分を知っているから、自分がやりたいことが分かっている。

人は、人の世が、自分をどう見るのかばかり気にして、いつまでも自分になるチャンスを見逃しているかのようです。

自分を捕まえた人は、自分を愛することが出来る、自分を愛しているから、自分を鍛えます。

自分が、自分の為にしてやれることが何かをいつも考えているものです。

それが成せるのかどうかより、それを実現する為に、何が出来るのか?何をしたら良いのか?と問います。

自分のしたいことが分かっている人は幸せですが、

その為には、環境の中で、自分に付けられた、他者に影響されている、価値という世界を見渡し、

その中から、外せない"自分"だけを抜き取り、固有の自分という世界を知らなければなりません。

29/07/2026

司馬遼太郎が文化勲章を固辞したと言う話しをどこかで見た…ような気がしますが、

ネットで調べたら、文化勲章は受けているようです。

チャットGPTに聞いても、固辞はしていないと、そのように答えています…

でも、その時言われていた、私が記憶している、最高位のものではないようです…が、

私の妄想だったのでしょうか?…

真偽はともかく、

当時の私は、何故そこまで固辞するのだろうか?…と、考えていました。

司馬遼太郎と、その固辞という言葉が、自分の中ではしっくり来なかったからです。

彼は、権力欲とか、顕示欲もなく、そうしたもの自体に捉われもなく、それを受けたとしても、受けなくても、形の中には属さないし、

人が、属していると受け取ったとしても、

その事自体に、こだわりも無いだろと思っていたからです。

そして、彼がそれを受け取るのは、

彼の仕事を思えば、最高位の文化勲章を受け取ることは、至極当たり前の流れのようにも思っていました。

司馬遼太郎の人間としての優しさや、偉大さは、何があっとしても、そこなわれるようなものは、何一つないと感じています。

それと共に、『龍馬がゆく』を読み終わった後に、時折感じていたのは、

龍馬の行動を支えていた金銭的なものが、どこに依存し、何故、それが提供されたのか?と言う、思いと言うか、疑問でした。

いろいろ気になっていた事が、ある時、

インターネットで様々な情報に触れ、

様々な点と点が結ばれていった時、

そうだったのか…と、分かる時がありました。

長崎に、グラバー邸がある意味も。

世界を動かしているお金の流れと、様々な歴史の意味が。

この深い裏の流れは、ごく最近になって、知っている人には、知っている世界になりました。

司馬遼太郎が文化勲章を固辞したという記事が、私の中では、その時、納得出来たような気がしました。

それが事実かどうかは分かりませんが。

20世紀に入る頃から、大きな戦争があちこちで様々に起こって来ましたが、

戦争をすることによって、富と力を維持し、増大させ続けている、そうした勢力があると言う事は、

インターネットという世界が、今は、様々に顕にしているように思います。

博覧強記と言われ、様々な事を更に調べあげていた司馬遼太郎であっても、『龍馬がゆく』を書いていた時代には、そのような情報は、まだまだ、開示以前の状態だったであろうと思います。

私の知り合いが、90年代には、それらしい話しをし始めてはいましたが、私には、そんな話しは、まだ検討がついていませんでした。

私は、この世界は、愛と言うべきエネルギーが、この世界を導いていると思っていました。

そして、この事も間違いないと、今も、思っています。

この、人の中にある、人を思う思い、豊かさや、自由を求めて生きる思い、

そのような、いのちの思いによっても、この世界は、動いているとも感じています。

司馬遼太郎が書き続けていたものは、間違いなく、

人が時代の中で、人としての生きる思いや、人の中にある真実や愛を、書き表したかったのだと思っています。

それは、私達に、生きる希望を垣間見せてくれます。

彼の小説に、沢山の人々が惹きつけられるのは、

司馬遼太郎が、人の中にそれを見出しながら、

より時代をありのままに描き続けてくれたからだと感じています。

ただ、彼の凄まじいほどの資料という事実の束が、

ありのまま描き続けていた事が、

何故か、私に、龍馬の行動の財源はどこからなのだろう…

財源の出所と、それが何故なのか?が…

個々人のその裏側に、それらの人生を動かしている、

それらを下支えしている、

あるいは、裏打ちしているお金の世界が、
気になる羽目になりました。

龍馬の身分と財力は、その行動の裏打ちとかけ離れているのでは無いのか?と、気になっていました。

13/07/2026

人類にとって、誰が生き残るのか?と、誰が、力と富を持っているのか?は、同じでしょうか?

何故人間が、その道を歩み続けてきたのか?

それは、人間にとって、生き残ろうとすることは本能だからとも言えるのでしょうが、

力と富を求めて、力と富によって生き残りかけ続けている、

言ってみれば、そのために、戦争をし続けているとも言える人類の行為は、

催眠にかかったまま、崖に向かって堕ち続けている羊の群れのようにも見えます。

もう何十年も昔、科学博物館で見た、縄文時代の展示の中で、忘れられない骨の展示を見ました。

人の骨で、細い、そして、あまり長さも無い骨で、説明文には、身体的には長生き出来ないにもかかわらず、かなり長生きした人と書かれていました。

その骨は、正方形の中に、きちんと、揃えられたように、並べられ、重ねられていました。

一人では生きていけなかったであろう人ですが、特別な思いをもって葬送された事が伝わって、今も、忘れていません。

多分、一人では生きられないからこそ、
沢山の人が、沢山の時間をかけて、その人といき会った…

かけた思いと優しさが、その時間が、忘れられない思い出として、沢山の人の心の中に刻まれたからこそ、

この様な形を生み出したのだろうと、ふと思うのです。

ここにあるのは、いのちの絆が生み出した、深い思い、

いのちの喜びや、幸せに違いありません。

今のところ人類は、どちらが正しいのか?間違っているのか?を問いながら、

あるいは、この事を悪用しながから闘うことを、戦争を止めません。

同じ努力を、理解し合うために生きようとするなら、

愛し合うことの出来る喜びに繋げようとして生き合うことが出来るなら、

私達は、今とは違う世界を開く事も出来ます。

外側の戦争は、そのまま、人類全体が、内側に抱えている葛藤の表れとして、

人との関係の中にある葛藤や、争いの総体が、いまある戦争の現実だと分かる時、

世界は、変わります。

外側ではなく、

自分自身の内側の平和のための、自分自身との闘いの中で、内なる自分に、平和をもたらす事が出来た時、

真の幸せと真の平和が、外側にも広がっていきます。

15/06/2026

他人のことではなく、一人一人の中にある、

人として生きる、人として生き合うと言った、いのちの喜び、自分という軸の捕まえ方

いのちへの思いが足りない…

巨大コンピュータの中に、あと少し、人との繋がりが、生きている、生き合う喜びとして広がっていくなら、世界は、喜びに向かって爆発していくのだと。

私達は、誰が、何が、どこの国が、良いのか?悪いのか?と、正しいのか?とジャッジすることに余念が無いのかもしれませんが、

ジャッジした先の世界をどう結んでいけるのかが大切なことなのだと思うのです。

全てのいのちは繋がって、一つの身体としてあると感じるなら、誰が、どの国が危機に陥っても、自分達も、やがて同じ運命をたどるのだと知るしかありません。

一部の人を、全体として見なすような考え方の危険…

誰が、どこが潰れても、それはやがて、あっという間に、全体が崩壊する危険性があるかもしれません。

それを、外側の力で抑えていくのか?内側の愛で広げていこうとするのか?

今の世界が、全ての繋がりを、否応なく問うているのを感じています。

物事をよく見ないで、一括りにしてヒステリー状態になることには注意が必要だといつも思います。

まずは、目の前の人と、丁寧に誠実に生き合おうとする気持ちが、大切な今です。

今ある巨大なホログラムなような頭脳が、間違った選択(出会う全てと、生かし合える関係を努力しなければ)をし始めて、止められなくなれば、全てが消えるのか、あるいは、支配と隷属といった世界を生きるしかなくなるかもしれません。

勝ち負けや、正しいや、間違いにかける時間を、

どのように分かりあえるのか?どのように生きあえるのか?に真剣になる方が、

はるかに全体が幸せになる事を、それしか無いことを、今の時代は、ハッキリと見せてくれているように感じています。

私達の、人としての生き方だけが、生きあい方だけが、全てを分けると教えてくれているようです。

鍵になるのは、
信頼、関係性、冷静さ、想像力、創造力、
判断力、
何よりも、愛し合い、分かりあう、いのちの喜び、

人と人が、どう生き合うのか?
どう生き合えるのか?

それだけが、今、人類の未来を握っているように感じています。

今だけでなく、ずっとそうでしたし、それが、時代を深いところで牽引し続けてもいましたが、

今は、この深い場所から、内側から、いのちを、世界を、問うことが必要とされているように感じています。

究極の場所で、深いいのちの領域へと、『日月神示』の中で語られていた、"グレンとひっくり返る"が、起こるしか無いところに、人類は、立たされているように感じています。

自分という、いのちの軸を、一人一人が握ること、握ろうとすることが、人類の平和と幸せを約束してくれるのだと感じています。

様々な事が言われ、現実がどうなるのか?がありますが、

一人一人の内側がどうあるのか?だけが、これからを決定していて、それが表れて行こうと、移行している今です。

11/06/2026

他人のことではなく、一人一人の中にある、

人として生きる、人として生き合うと言った、いのちの喜び、自分という軸の捕まえ方

いのちへの思いが足りない…

巨大コンピュータの中に、あと少し、人との繋がりが、生きている、生き合う喜びとして広がっていくなら、世界は、喜びに向かって爆発していくのだと。

私達は、誰が、何が、どこの国が、良いのか?悪いのか?と、正しいのか?とジャッジすることに余念が無いのかもしれませんが、

全てのいのちは繋がって、一つの身体としてあると感じるなら、誰が、どの国が危機に陥っても、自分達も、やがて同じ運命をたどるのだと知るしかありません。

一部の人を、全体として見なすような考え方の危険…

誰が、どこが潰れても、それはやがて、あっという間に、全体が崩壊する危険性があるかもしれません。

それを、外側の力で抑えていくのか?内側の愛で広げていこうとするのか?

今の世界が、全ての繋がりを、否応なく問うている、

物事をよく見ないで、一括りにしてヒステリー状態になることには注意が必要だといつも思います。

まずは、目の前の人と、丁寧に誠実に生き合おうとする気持ちが、大切な今です。

今ある巨大なホログラムなような頭脳が、間違った選択(出会う全てと、生かし合える関係を努力しなければ)をし始めて、止められなくなれば、全てが消えるのか、あるいは、支配と隷属といった世界を生きるしかなくなるかもしれません。

勝ち負けや、正しいや、間違いにかける時間を、

どのように分かりあえるのか?どのように生きあえるのか?に真剣になる方が、

はるかに全体が幸せになる事を、それしか無いことを、今の時代は、ハッキリと見せてくれているように感じています。

私達の、人としての生き方だけが、生きあい方だけが、全てを分けると教えてくれているようです。

鍵になるのは、
信頼、関係性、冷静さ、想像力、創造力、
判断力、
何よりも、愛し合い、分かりあう、いのちの喜び、

人と人が、どう生き合うのか?
どう生き合えるのか?

それだけが、今、人類の未来を握っているように感じています。

今だけでなく、ずっとそうでしたし、それが、時代を深いところで牽引し続けてもいましたが、

今は、この深い場所から、内側から、いのちを、世界を、問うことが必要とされているように感じています。

究極の場所で、深いいのちの領域へと、『日月神示』の中で語られていた、"グレンとひっくり返る"が、起こるしか無いところに、人類は、立たされているように感じています。

自分という、いのちの軸を、一人一人が握ること、握ろうとすることが、人類の平和と幸せを約束してくれるのだと感じています。

様々な事が言われ、現実がどうなるのか?がありますが、

一人一人の内側がどうあるのか?だけが、これからを決定していて、それが表れて行こうと、移行している今です。

10/06/2026

時代の歯車が、次に掛かったと、何故か、米中会談をみて感じました。
ともかくも、新しい時代をどう創ることが出来るのか?が、今の課題のようには思います。

先日の米中会談と、トランプが率いた世界トップの富豪達の意味…ある意味、時代を動かしている人々でしょうか?

様々な事を考えていたら、
動かしている世界を感じていたら、

まるで、今という時代が、エネルギーが織りなしている、巨大な脳として集結しているのを感じました。

その世界が、どこに向かっていけるのか?

私達は、互いの存在があって、様々な仕事をしてくれる人々によって、互いが、生きていけるようになっていますが、

その基本的な、現実的な営みとは掛け離れているかのような、
巨大脳の、危うさと可能性。

私達一人一人の中にある、世界の中にある情報量が、その伝わりが、膨大な中で動き変化しています。

ある意味、トップ層によって牽引されている世界があり、
全ての人を巻き込んでいて、
巨大な、ホログラムのような頭脳の中で、何かが決まっていくような…
生権与奪が握られているような危うさ?希望?…を感じました。

世界トップの富豪達ではありませんが、彼らは、この巨大脳を動かす影響力の最たる力ですが、それだけで世界が決まる…だけの仕掛けを持ってもいて、
それは、支配と隷属の世界への危険性ともつながっています。

個々人が、一つ一つの細胞とするなら、その身体の生命線を、その脳は握ってもいて、
身体の細胞を、個々を、攻撃する判断を下すなら、やがて、全てが終わる…結末もあるかもしれないと、

この巨大コンピュータの中には、深いいのちのへの思いが、まだ希薄な感じがしてなりません。

生き方だけが、行き着く先を決めていく今だと思っています。

SNS世論誘導、フェイク映像、A.I生成情報、感情分断操作、アルゴリズム操作…
これらに対する、人の認識領域自体が、関ヶ原になっているようです。

戦場は、かってのような戦場ではなく、

経済、情報、A.I、エネルギー、心理、技術、電力、通信、金融、物流、水、食料、
全てが繋がっています。

重要になるものは、
半導体、A.I、電力、通信、教育、人材、
精神的なもの、内なる世界、

水、食料、電気、土地、人との関係…

全てが、巨大化した世界の中でどのように動いていくのか?動かしていけるのか?

そして、
巨大システムの、バランスを失った時の、どこへ向かうのか分からない、不安定さ…

オセロの最後の一つが、全てを塗り替えるような、危険?希望?を感じてもいます。

このホログラムのような、巨大コンピュータには、いのちへの思いという軸が、まだ、足りないのかもしれない…と。

どちらにせよ大きく変わる世界を、どう着地するかを握る鍵は、

ただ、人としてどう生きるか?を問う力だけなのではないのかと思うのです。

03/06/2026

先日、短剣を首に刺して仰向けに眠るよいにしている、首から上の横顔の写真のことを書きながら、

今の戦争、戦闘を思う時、何かがすっかり様変わりしている…感覚が違っている…

そう感じながら、改めて、現在の戦争の事を考えていました。

サイバー攻撃、ドローン、ロボット、

人と人が戦い合うと言った、生々しいいのちのやりとりの残酷さは薄れて、まるでゲームのようなやりとり、

けれども、痛ましい、人の傷つきや、死はあります。

巨大な頭脳とでも呼ぶべきコンピュータの中で、全てが行われているかのようです。

昔の戦争が、戦車、歩兵、艦隊、爆撃、
と言った、目に見える実態が、はっきりしていたものから、

現在は、A.I、衛星、通信、ドローン、サイバー、電磁波、半導体、

見えない神経網が、ゲーム世代の操作感覚が、VRとか、A .Iシュミレーションが、戦争の実態になっているようです。

重い現実として捉えられていたものが、

ボタン、画面、データー、遠隔操作と言った、現実感が薄れたところで起こっています。

実際の主戦場は、半導体供給の停止、通信の遮断、電力網攻撃、金融停止、A.I情報操作、
こうしたものだけで、国家機能が揺らぐ危険の中にいます。

実際の撃ち合いの前に、社会システムが止まれば、人は、やがて、生活と言う、息の根が止められます。

他国との戦いは、殺し合いではなく、
究極、補給路をいかに断つか?と、様々な情報戦になります。

如何に孤立させるのか?

孤立して、国の中が立ち行かなければ、同じ国の、目の前の人間と、生き残りを賭けて争う…しかなくなるのかもしれません…

こうしたところに人は、追い込まれてゆくのでしょうか?

ここにも、孤立するのか?生き合おうとするのか?が、最後の問いになります。

最期の戦いは、人間性と言った、一人一人の内側の戦いが、何を選ぶのかが、人類全体の明暗を、運命を決めるところに私達は、立たされているようです。

全体が、自分にかかっています。

生き残りを賭けて、
誰が生き残るのか…?

あるいは、
生き残りを賭けて、
共に、生き合う道を探す事が出来るのか…?

二つのうち、人類は、どの道を進むことが出来るのでしょうか?

私達は、今、それぞれが、岐路に立たされて、選択することを迫られています。

外側ではなく、内なるいのちの道を目指す事が出来なければ、

人類は、破滅の道か、

ごく一部の支配層と奴隷といった、支配と隷属を生きる世界へと追い込まれるのかもしれません。

私達は、未来について、もっと真剣にならなければならない局面にいるような気がします。

人間性という領域そのものが、問われている今です。
続きます。

14/05/2026

ひかれるものには意味がある話①

惹かれるものは、自分を表します。

勿論、嫌いなものも自分を表す事は、自分解きの中では重要です。

この事は、本来の自分ではないものを、
愛ならざる自分を、おそらく表しています。

そして惹かれるものも、何らかの自分を表している、指し示しているはずです。

この世界を見る時、気になり、感じるもの全ては、自分を表しています。

あるいは、自分を、顕にしようとしています。

この世界がこの様であるのも、目の前の人がこの様である事も、それら全ては、自分のために存在してくれているのであって、

世界や、相手の問題では無いと言うのは、ある意味、究極の答えになります。

それら全ては、自分を活かすため、生きさせるため、今生の経験と学習の為に存在してくれているものだと、やがては分かります。

08/05/2026

いろんな意味で飛んだ話④

仙骨が爆発している状態を見たことがあります。

肉体を消したり、出現させることが出来る人?に、その爆発を見たのだと言ったら、頭がおかしいと思われるかもしれませんが、見ました。

彼ら?は、私達を実態として捉えるのでなく、エネルギーとして捉えているので、もの凄く正確に捉え、必要なたものを、正確に返してきます。

遊んでくれたりもします…言ってみれば、遊ばれているのですが…深い愛情深さとユーモアが、普通の人にはまず真似出来ません。

爆発する仙骨を、自分の体では、まだ感じたことが無いので、それが何かをお話しすることは出来ませんが、仙骨の意味は、深いようです。

私達の生きている状態は、様々に違います。

そこで経験出来ることも違っています。

次元が違うとも言えますが、私達は、多次元的にも生きていますが、注意深くはありません。

私達は、同じ空間にありながら、捉えられる状態が違う状態を生きているようです。

その鍵は、この肉体の状態が握っているのだろうと思っています。

でも、自分の状態で様々に変わることは、私達は、経験してもいます。

あまり、意識をしてないかもしれません。

ラジオやテレビのように、周波数が違えば、違う内容が流されているのと変わらない、それと同じ事だと思っています。

爆発までは感じられませんが、自分の背面を感じていて分かったのは、

なるほど、不動明王の後ろの炎は、この仙骨から来ているような気がします。

人間にとって、仙骨の意味は大きいようです。

講座をしていて、様々なブロックが外れる時、腰に来る事がよくあります。

変化の兆しが現れる時、腰に来ます。

それは、腰痛と言った形で表れることもありますが、仙骨が固いのです。

そして、身体のエネルギー状態を受け、縛られている要の場所でもあります。

自分の癖やブロックがはずしがたい時、この仙骨が固まっていたりします。

07/05/2026

いろんな意味で飛んだ話し③

仙骨の話しにもどります。
仙骨は、間違いなく仙人の仙からきていると思った話です。

エネルギーを上げると花粉症が治ります。

このエネルギーをあげる時、仙骨に当ててからあげていきます。

このエネルギーの流れは、

エジプトの壁画の中にも描かれています。

エネルギーを循環させ続ける事が出来ます。

この状態になると疲れを知りません。

この時、仙骨と後頭部を使います。

後頭部から前に向かいます。

これが、シバ神のコブラの飾りの意味だと思っています。

シバ神のコブラで思い出しました。

昔、友人と二人きりで、ババの車が通り過ぎるのを間近で見た事があります。
その時、ババがゆっくりとこちらに視線を向けた瞬間、友人は、

「ババがこちらを見た‼️」と、喜びの叫びをあげたのですが、

私には、ゆっくりとこちらを見るババの顔が、

氷の、あるいは水晶のシバの顔になって、こちらに振り向くのを見ました。

書いて見れば、それだけの話しですが、

あまりに驚いたので、かなり長い間、この事が、全く、話せませんでした。
どう話したら良いのか分かりませんでした。

それも不思議ですが。

ババがシバになっている経験は、まだ他にもありますが、

様々思い出していたら、

この時のババが、コブラを通して、教えてくれたものは、単なる循環のことだけではなかったのかもしれないと…

循環するエネルギーは、身体の中に籠っていますが、やがてそのエネルギーは、広がり、解放されていました。

今になって感じてみれば、あの時見せてもらったものは、これだけでは無いような気がしてきました…
の時見せてもらったもだけでは無いよ

住所

川越市元町1丁目14/16
Kawagoe-shi, Saitama
350-0062

営業時間

月曜日 13:00 - 17:00
金曜日 13:00 - 17:00
土曜日 13:00 - 17:00
日曜日 13:00 - 17:00

電話番号

+817069816373

ウェブサイト

アラート

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