船橋市には、30数年前「船橋ヘルスセンター」という一大レジャー施設がありました。日本中から注目されたこの施設では、日常的に「フラ」が興業として行われていたといいます。
現在、ハワイと言えば福島県いわき市の「スパリゾートハワイアンズ」が有名ですが、ここの立上げにも「ヘルスセンター」で踊っていたフラのダンサーが大いに関わったという話もあります。
また、船橋市には豊富な漁量を誇る「船橋港」があります。ここでは、スズキの水揚げが日本一です。せっかく海があるので「海のある街船橋」を前面に押し出してPRをしてゆきたいという思いがあります。
そこで、船橋=日本のハワイ発祥の場として船橋ヘルスセンターの跡地に建設された「ららぽーとTOKYO-BAY」設立30周年の節目の年に「ふなばしハワイアンフェスティバル」を立上げました。
日本人は基本的にみんなハワイ好きです。
日本人が考えるハワイの陽気なイメ
ージ、常夏のイメージを船橋で再現して船橋の街の良さをたくさんの方に知っていただけるイベントにしてゆきます。
第一回ふなばしハワイアンフェスティバルは、2011年9月17日に開催され1万人が会場を訪れました。
フラを踊ってくれたダンサーも500人を超える盛大なイベントになりました。
ふなばしハワイアンフェスティバルが何故「復興支援」なのか
ふなばしハワイアンフェスティバルには、船橋のPRという顔ともう一つ、「東北地方の復興支援」という側面があります。
これは、ハワイアンフェスの中止を考えていた震災直後にさかのぼります。このとき船橋は大きな被災こそ無かったものの液状化や計画停電のあいまいな実施による影響で経済がガタガタになっていました。そんな中、実行委員長の山﨑が経営する広告代理店業を営む会社は存亡の危機を迎えていました。
「こんな震災でみんなが苦しんでる時にタウン誌なんて読まないよ」と会社の閉鎖を考えている時で「とてもボランティアイベントどころではない」という状態でした。
震災から1ヶ月ほど経った時支援物資として当時必要とされていた「野菜」や「自転車」「子ども達の勉強道具」を仲間と一緒にトラックに積み込んで宮城・石巻市「門脇小学校」や福島・郡山「ビッグ・パレット」を訪れました。津波の直撃を受けた南浜地区にゆき、小学生の話を聞きました。何も出来ない自分の情けなさに、嫌気がさしました。
そんな頃、TVのニュースでスパリゾートハワイアンズのダンサー達がおよそ40年ぶりに全国公演を開始したニュースを見ました。「東北は被災してしまったけど、私たちは元気です」というコメント、強さに「船橋で家族も会社も、事務所も残っている自分が何を言っているんだ。今だから出来る事をやらなければ」という気持ちに駆り立てられました。
JTB東北さんの協力で、スパリゾートOGの「リノラニあゆみ」先生がゲストで登場していただけることとなり、仲間のつてで東北の生産者の方、酒蔵の方などにも会場にお越し頂き第一回のハワイアンフェスティバルを開催する事が出来ました。
その後も、被災地へ行き「自分に出来る事は、何か自分だからできることはないか」と模索してゆく中で仮設住宅の方とともに復興支援グッズを製造し、新しい仕事を生み出している経営者の方や、家も船も工場も流されてしまったけど「この浜でもう一度漁師を続けたい」と浜の再生に取り組む牡鹿半島の漁師さんに会いました。
僕たちは、みんな同じ日本人です。
あの日、同じように平和な朝をむかえ、同じように家族と過ごしていました。
忘れてはいけない記憶だし、後世に活かしてゆかなければならない記憶だと思います。なにより、今生活を成り立たせるために必要な支援が全然足りていません。「今更東北の地震なんて」とか「暗くなるからやめようよ」とかそういう問題ではなく、「復興支援」は絶対に「必要な」事なんです。
みんなが重く受け止めて消費を自粛していたあの頃とは違う、楽しみながら自分たちが少しずつ支援に協力できる仕組み作りや、復興の必要性を知って消費を東北にシフトしてゆくことなどが求められているんだと思います。
だから、ふなばしハワアイアンフェスティバルは「船橋のPR」と「東北地方の復興支援」が2大テーマなのです。フラを楽しみながら東北地方の復興について考えてもらえたら幸いです。